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#80 焼きそば

焼きそば

よく降る雨である。きのうは天気がよかったが、明け方ぐらいから降りだした雨は、明日まで降りつづくらしい。休日の雨も好きだ。静かに好きな本を読んで至福の時間を過ごすのは何をもってしても変えがたい人生の快楽のひとつである。

おととい職場で小さな打ち上げをかねて、「BAR酒場」という、そのまんまの名前の飲み屋にいった。飲みだして3時間、10時30頃から、腹痛がしだして、それは陣痛のように間隔をあけて襲ってくる。うーむ。腹痛などここ何年も味わっていない感覚である。なにかがうまれようとしているのか。新しい命なら大歓迎だが(それはそれで大ゴトだが)、それ以外はとても困る(あたりまえじゃ)。

最初は甘く見ていたのだが、11時近くまでくると、
「こ、これはあきまへんで、だんな」
という幻聴がはっきり聞こえた(守護霊の声か?)。これはぐずぐずしていられない。そうそうに暇を告げ、自転車に乗る。酒を飲んで自転車にのるのは、道交法違反らしいが、腹痛のために、頭は生まれて以来これほど澄み切ったことはないというくらい明晰である。まだココロに余裕もある。

「ふっ、自転車飛ばせば、10分でゴールをきれるぜ」
と競輪選手のように、不敵な笑みを漏らして自転車にまたがる。ペダルをこぐ足にも力が入る。

3分ほど家路をたどったところで、突然大きな波がやってきた。うおーっ、こ、これは。座ってペダルをこいでいたのでサドルの振動で、いわゆる「限界」がずずいと前倒しになってしまったのだ。

はたして家まで帰り着けるか。人生ここまで追い詰められたことはあまりない(忘れているだけだが)。「夜の街を激走!」とはまさにこのこと、記録的なタイムをたたきだして、家にたどりつく。這うように、家に飛び込み、サドルではなく本来すわるべきところに座り、ひと息つく。
「ふう、死ぬかと思った」

翌日、職場のひとの奥さんが、立ち漕ぎで夜の街を爆走するすごい形相のワタクシを見かけたというハナシを聞いて、ちょっときまり悪かったです。

(ビロウな話なので、料理のハナシはスキップさせていただきます)
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#79 カツオのたたきの握り寿司

#79 カツオたたきの握り


#78 よりつづき

エリザベスが会ったのは、未熟児の世話をする看護助手だった。その看護助手はおどろくほど有能だという。彼女が面倒を見ると容体の厳しい赤ちゃんが経過予測をこえて回復するのだ。なぜそうしたことができるのか。彼女によると赤ちゃんを救うことができるのは問題が起こる前に直観でそれを知ることができるからだという。それを他人にわかるように説明はできない。説明しようとしても信じてもらえないから。そして説明しても他の人が同じことができないからだ。

またあるきわめて優れた脳神経外科医は、研修医に自分の技術を教えることにストレスを感じている。彼は、手術前に患者のそばに座り、合図をまつ。患者の頭の周辺に白い光があらわれれば、手術は成功するが、現れるまでは手術が危険であることを知っているのだ。これは彼にだけおこる。「白い光をみる」そんな手順はほかの研修医に教えたりはできないし、口にだすこともできない。

こうした虫の知らせや直観は、医療関係者ばかりでなく、どんな職業にでもいるに違いない。ただ理屈にあわないというだけで、自分でも気がつかないうちに虫の知らせや直観を役立てていたり、他人にいったところで否定されるのが関の山だと誰にも言わずに有能な職業人としての義務を淡々と果たしているひとたちもいるのではないだろうか。

ひょっとしたら、多くの現代人は本来の心の使い方を知らないのかもしれない。無意識下で人間には有用な情報(それは理屈ではなく直観や虫の知らせと呼ばれるカタチでしかないが)がつねにキャッチできる状態にある。しかし、現代人の意識はそれを捉え意識できるまで利用できないでいるのかもしれない。

きょうは握り寿司をつくった。スーパーで生きのよいカツオのたたきをみつけた。カツオは少し生臭さがあるが、たたきにして生姜をのせると、実にうまくなる。握り寿司はこのあいだの鰆以来だが、その前にも作っている。今回はまじうまいっす。


<今日の本>
「心の科学 戻ってきたハープ」 エリザベス・L・メイヤー、講談社

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#78 タイカレーつけ麺

タイ風素麺

「夕食どうするの?」
「タイカレーつけ麺にするかな」
「なにそれ?」
「タイ風カレーに茹でた麺をつけて食べるってかんじかな、うどんとか」
「じゃ、麺は素麺がいい」
「え~、素麺?合うかな~」

というわけでタイカレーに素麺を茹でて、つけ麺です。なかなか「うまひ~!」です。いつものように、材料は、タケノコの水煮、ショウガスライス、シメジ、ココナツミルク、エビ、ナンプラー、レッドカレーペースト。もう適当です。淋しければ、チキンをいれるといいです。香草を刻んで、好みでトッピンGOO~。ずるずるっと、素麺4束はかるくクリアできます。

最近、自分の本棚の本をもう一度読み直すという、経済的な読書が多い。そんななかの一冊。

昨日までの自分とは違う。昨日までの自分がどう感じていたのか、想像がつかないほどかわってしまうことが起こるものだ。それまで、そういった類のことを信じる自分なんて想像もできなかった。それなのに、新しい自分がいる。知識を得る。科学的な思考法を身につける。それは一見、多角的に精度の高いものの見方ができるようになるように思えるが、所詮科学的という立場は、物質を基盤とする狭いものの見方を唯一正しいとするドグマティックな小さなウインドウを与えられただけなのかもしれない。

エリザベス・L・メイヤー、彼女はカルフォルニア大学バークレー校のキャリア豊富な心理学者であった。最近亡くなっているが、一冊の本を残した。「こころの科学」、原題を「Extraordinary knowing」という。

理屈に合わない超自然的なこと、科学で説明できない不思議なこと、サイ現象、こういったいわば、人のこころのもうひとつの側面について彼女は、そのときまでわずかでも考えたことはなかった … ある事件が起きるまでは。その顛末と彼女にとって未知であったここ数十年にわたるいわゆる「超能力」研究の経緯についてとてもわかりやすく記述されている。

決定的な事件が起こる。娘のハープがなくなったのだ。

とても珍しいハープで、娘はその楽器をとても大切にしていた。彼女は八方手を尽くして探し出そうとする。だがみつからない。 … 最後に彼女の友人が、ダウザーに訊いてみてはと提案する。どうせ見つからないなら、最後に試してもという軽い気持ちで彼女はダウザーに電話をする。そして、ダウザーは、ピンポイントでハープの場所をつげた。ダウザーとは、振り子やロッドを使って、地下水や鉱脈、失せ物の場所を特定することができる人をいう。

そして、それがきっかけで、ハープは娘の手元にもどった。なぜ数千キロ離れたところに住むダウザーに見ず知らずの他人の失せ物の行方がわかるのか、彼女は、衝撃を受け、その日以来、それまで信じていた唯物的な世界観がみるみる変貌を遂げたのを知った。

彼女が、そういう目で、改めて人間の特異な能力についての研究をひも解くと、すでに批判に耐えうる研究や事例が数多く、蓄積されているのに気づいた。フロイト自身が現象を認め、その解析の必要性を知人に書き送った書簡、CIAや陸軍が行った極めて信頼性に富んだ事例などが見つかった。だが、なぜ現代科学は、こうした現象を認めようとしなかったのだろうか。
そこから彼女の知的冒険が始まった。

つづく (すいません、なんか眠いので連続モノになるでごわす)

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#77 なめろう

#77 なめろう

「おいどん、今日、T沢どんから、大葉をいただきもした」

「ほう、それはよか」

「そんで鯵をたたきもした」

「ほいでどしもした?」

「大葉、ニンニク、ショウガ、カイワレ、ネギを刻み、そいと和えもした」

「ほっほう、こいはうまそでごわす」

「おいどんもそげに、おもいもす。塩、酢、味噌で味をつくりもした」

「とこいで、大河ドラマの篤姫様のもんがたいに登場すう方々はいけんして薩摩弁をはなさんのでごわすか。西郷どんの国言葉も、ちっとおかしか」

「そいはしかたがなかでごわす。国言葉では、大河ドラマはむりでごわす」

「お待たせしもした。準備もできもした、夕餉をたべもそ」

「なめろうは、芋焼酎にもあいもす」

「そんとういでごわす」

「この赤ワインにも鯵のなめろうがあうでごわすか」

「そげなこと、やってみねば、わからんことでごわす。ではとりあえず ... 」

「ルネッサーンス ... でごわす」

チンッ (ワイングラスの音)



参考URL
「薩摩弁に換えもす」 



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#76 パエリア

#73 パエリア

先日のご近所との宴会の残りがまだある。
パエリアの材料である。冷凍してあるとはいえ、早めに食べてしまおう。アサリを買い足す。これは以前にも作ったが、今回はグリーンピースはのせない。

玉村豊男によると、

「パエリャはご存知の通りスペインの名物料理で、肉や魚や野菜などさまざまの具を炊き込んだ一緒の炊き込みご飯。ヴァレンシア地方のものが一番有名だが、それぞれの地域で無限にヴァリエーションがあって、絶対こうでなければ、という決まりはない。
しいて言えば、
(1) 肉と魚介をともに用いること
(2) サフランで香りをつけること
(3) パエリャ鍋で炊くこと
くらいだろうが、中でもひとつだけ条件を、といわれたら、重要なのは鍋である。
両手のついた、浅い鉄製の、平鍋。このパエリャ鍋で炊きさえすればパエリャになる …」 (「健全なる美食」より)

もちろんパエリア用の平鍋などあるわけもなく、テフロン加工のフライパンでつくる。基本となる考えは、シーフードや肉、野菜のうまみを十分米に吸わせて、炊き上げれば、それでよしということである。米が硬ければ、白ワインかお湯をたせばよく、ちょうどいい固さで、水分を吸収し、多少コゲができたら完成である。火を通しすぎると固くなる具材は、とりだしておいてあとから載せればよいし、そこはもう自由自在である。いい加減なワタクシにはぴったりの料理である。

ニンニクとタマネギをオリーブオイルで炒め、米を洗わずに一合いれて、さらに炒める。米が、透明になったらお湯をいれて炊く。ホタテのスープの素をパラリとふり、アスパラ、パプリカをのせ、白ワインはないので日本酒をそそぎ、お湯で色をだしたサフランを投入。塩、黒胡椒を加え、さらに炊いて、米が柔らかくなり始めたら、アサリと冷凍エビ、イカを入れる。

あとは、味見を頻繁にして、米の硬さと、残りの水分のかげんをみつつ、火を止める。どんな作り方をしてもアサリからでるダシは強力である。失敗があるとすれば、炊きすぎて米が柔らかくなりすぎることだろうが、そんなパエリアもわりに好きなので、まあパエリアに「失敗」の二文字はないといってよいのである。

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#75 野菜餃子

焼き野菜餃子

餃子好きである。
東京に住んでいるときに勤務先の近くに「東亭」という餃子専門店があった。池袋のサンシャイン60 から北に進み、白山通りを超えて山手線の陸橋の手前にあった。真面目そうな30代半ばのご主人が一個一個丁寧に作る餃子はとてもおいしかった。大ぶりで、具がぎっしりつまった餃子はご飯のおかずにも、ビールのお供にもまっぽし(熊本弁で「ぴったり」の意)。

ときどき夕食をそこで食べて、また仕事場にもどることが多かったので、餃子にビールを一緒に頼むことは9年間でいちどもなかった。いつの日か、あつあつの餃子を食べながら、ビールをぐいっと飲む日をたのしみにしていたのだが、結局その日はやってこないまま東京を離れることになった。それから12年、偶然そこを通りかかる機会があった。街の佇まいは、そのままだったが、その店すでになかった。

餃子を自分でつくるときに、ふと「東亭」の大ぶりの餃子を思い出す。じつは、その店は餃子の味は抜群だったのだが、お客がビールをどんどん注文すると、「うちは、飲み屋じゃありませんから」と、説教するという「餃子で筋を通してもらわねば困ります」的な一途な雰囲気があったのだ。

「餃子で一杯的なお客」を拒んでいたので、閉店を余儀なくされたのか、それともどこか移転した店で、今日もご主人が、背中を丸めて丁寧に餃子のヒダを折りこんでいるのか。そんなことを思うと、自分の「餃子道」の未来には何が待っているのか、期待にお腹がグウ~と高鳴るのである。

餃子の包み方は、いつまでたってもうまくならない。ひき肉が入らないので、あんに粘りがなく、あまり具がきれいに包めず、妙なかたちカタチになることも多い。入れる肉の量も年々減って、まったく入れないこともある。そのときはホタテの缶詰で代用する。今日は、冷凍していた豚肉の肩ロースきりおとしを2、3片微塵きりにして加えた。湯通ししたキャベツ、にら、長ネギ、シイタケ、おろしニンニク、おろし生姜、味噌少々、ごま油に片栗粉。にらをたくさん入れるので、餃子の色はフシギな緑色になる。

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#74 ホウレンソウとニンジンの白和え

ほうれん草とニンジンの白和え

"Free Hugs "

あなたはすぐれている、だから愛してあげる。
あなたは仕事ができる、だから好きになってあげる。

あなたはいい子、だから受け入れてあげる。
あなたは美しい、だから抱き止めてあげる。

世の中が、こんなふうになっているのだと思うことが多いけれど、
そんな日々が続くと、いつのまにか心の中はからっぽになる。

ぼくは、目のまえのあなたのすべてを抱きしめる。

ありのままのぼくをうけとってくれて、ありがとう、
あなたへの感謝はあした勇気に変わるから。

http://jp.youtube.com/watch?v=vr3x_RRJdd4

深夜、ひとり yourtube を見ていたら、こんなナレーションが聴こえる気がした。
外人(欧米人)はなにかというとすぐハグしたがるからなー、という斜に構えたシニカルな見方をしてしまいがちだったワタクシ。ヒトを無条件で受け入れるという気持ちの表明がハグだとすると、案外とてもいい習慣なのかもしれないなあ、となんだか素直になれた。

今晩は、そんなやさしい気持ちにぴったりのホウレンソウとニンジンの白和えである。
ホウレンソウを茹で、手で絞ってよく水を切り、ニンジンは薄く削いで塩をして暫く置き、しんなりしたらよく水を絞って、塩分を除く。絹ごし豆腐を二度ほどペーパータオルで包んでぎゅうっと押し固めて、水を切る(もっと丁寧にしたほうがいいが急ぐときはこんな感じ)。白すりゴマと練りゴマ、キビ砂糖にレモンを絞って、ホウレンソウとニンジンと合える。

豆腐の滑らかな味に、ホウレンソウとニンジンが調和して、... う~む。よろしおすな。

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#73 マグロの頬肉のステーキ

#73 マグロの頬肉のステーキ

マグロの頬肉はうまい。
だいたい魚の頭はおいしい肉がつまっているが、マグロの頬肉は、その大きさが魅力だ。食べ応え十分な大きさである。頬肉を醤油と日本酒にしばらく漬け込む。でもあまり長くは待てない性格 … 。

フライパンにサラダオイルで、じっくり焼く。焼きあがったら、お皿に頬肉をうつし、ニンニクのみじんぎりと生姜を少量のごま油で加熱し、漬け込んでいた醤油と日本酒をフライパンに入れる。しゅわしゅわいったら、今回はたまたま白すりゴマを切らしているので、その辺にあった黒すりゴマを大量にいれる。

オイスターソース、キビ砂糖を少量入れて、味をみて、塩で味を調整。あつあつのゴマソースをすばやくお皿のマグロの頬肉にかける。冷蔵庫の野菜室にあった三つ葉を不自然なくらい大量にのせて完成である。

食べ終えて、そばにあった長ネギに気づき、長ネギのみじん切りもゴマソースにあわせればよかったなと、少し後悔。でもこんな後悔を吹き飛ばすくらいうみゃ~。

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#72 バゲット: いろいろのっけ

#72 バゲットいろいろのっけ

帰りがけに寄るスーパーは、夜8時からその日焼いて、売れ残ったパンを半額で売る。それを目指して買い物客が列をつくるので、9時ごろに寄ると、正真正銘人気のないパンだけがわずかに売れ残り、半額でしょんぼりしているだけのことが多い。きょうは、バゲットが残っていたので一本買って帰る。

バゲットはカリッと焼くとまたこれがうまいのだが、調理時間を短縮するために焼かずに、そのままオリーブオイルを薄く塗ってベビーリーフと一緒に以下3種類のトッピングした。

① ミニトマトとモッツアレラチーズ、バジルをのせて、黒胡椒をふる。

② ミニトマトにアンチョビ、バジルを合わせ、黒胡椒。

③ バジルソースに生ハム、さらに焼いたエリンギを手で縦に裂いたものをトッピング。

生ハムは、このあいだご近所の方々と宴会をしたとき購入したが、使う機会がなかったもの。宴会で残った冷たいビールをのみつつ、ぐいぐい食べる。あまりのうまさにしばし呆然。両手のシワとシワを合わせて、「しあわせ」とはこのこと …おもわず合掌。残念なことに、このとき指のフシとフシも合っているのだが、それには気がつかないのがいちばん。

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